映画「エクソシスト」 と聞くと、皆様が思い出すのは、1973年のアメリカのホラー映画で、リンダ・ブレアが熱演した映画でしょう。クリスチャン映画を成功させる会の代表の小川政弘氏がワーナー・ブラザース時代に担当した作品でもあります。小川氏の「字幕に愛を込めて」 によると、7月、8月の暑い夏の日、当時、有楽町にあった上映館の丸の内ピカデリーに、入場を待つ観客の列が、延々と4丁目の角の服部時計店から並んだそうです。
それ以来、「エクソシスト」は、ホラー映画の代名詞になってしまいました。しかし、「エクソシスト」の本来の意味は、カトリック教会用語で、エクソシズム(悪霊を追い出す儀式)をする公式な司祭のことです。
2020年8月BSプレミアムの世界神秘紀行でも、「イタリア エクソシストVS.悪魔」としてシチリア島で有名なエクソシストであるカトリック・フランシスコ会のカタルド・ミリアッツオ神父の活動をレポートしていました。
今回のヴァチカンのエクソシスト」(原題The Pope’s Exorcist )で、ラッセル・クロウが熱演したのは、2016年に亡くなるまで数万回の悪魔祓いを行った実在のチーフ・エクソシスト、アモルト神父です。彼が書いた「エクシストは語る」 を基にしていますが、映画は、ホラーエンタテインメント作品になっていま す。
実は私は、ホラー映画は苦手なので、ソニー・ピクチャーズから試写会に誘われたときは、とても腰が引けていました。
朝、新聞を開きますと、どうしてこんなことが起るのだろうかと思わされる事件の記事を目にします。「魔が差す」ということばが表現しているように、悪魔が働いているような気がしていたこともあって、折角なので小川代表と一足先に観させていただきました。映画を観て私の思いは一転しました。
まず悪魔は、アモルト神父や若きエスキベル神父の過去の罪を思い出させ、神父であることの自信を失わせようとします。誰でも、人には言えない罪や過去があります。
カトリックには、赦しの秘跡という儀式があります。アモルト神父は、自分の過去をエスキベル神父に告白します。自分より年齢の若い神父に、自分心の奥底をさらすのは勇気が要るでしょう。そしてアモルト神父は赦しの確信を持ちます。
罪がイエスの十字架による無償の愛によって、完全に赦されていると信じることは、悪魔に打ち勝つ最大の武器です。
「消しゴムで消してみたいわが人生」。私がキリスト教を求道していた時の牧師が引用した投稿句です。その時牧師は「私はこの方に伝えたい。イエス・キリストはあなたの過去を消して、あなたは、人生をやり直すことができると」。40年前に語られたこのメッセージは私の心に今も残っています。
悪魔祓いの儀式の中で、アモルト神父は、エスキベル神父に祈り続けるように命じるのですが、悪魔が取りついた少年が沈黙すると、不思議に思った神父は、少年に触ろうとして、祈りをやめてしまうシーンがあります。すると悪魔の反撃が始まります。
私たちは、「絶えず祈りなさい」 と聖書で教えられていますが、ネットニュースやテレビから飛び込んでくる自然災害や事件を知ると、そちらに気を取られてしまって、祈っていても何の役にも立たないのでないかと祈りをやめてしまうことがあります。
しかし、それこそ悪魔が願っていることだと思いませんか?
今回の映画のポスターを見せてもらってびっくりしました。宣伝担当者の方が作ったコピーは、「悪魔は存在する。今でも」でした。何年もご一緒させていただいている方なので、本当にそう思っているのかと、率直にお聞きしました。
すると、日本人でも悪魔の存在を信じている人がいることを、アピールしたいので、カトリック関係者の試写会ができないかとの提案をいただきました。
そこで、旧知のI神父にお願いして、カトリック関係者の試写会を開催しました。
映画の中で、アモルト神父は言います。「98%は悪霊の仕業ではないが、2%は科学や医学では説明できないことがある。」
今の日本では、悪魔は直接的に働くよりも、悪魔だと分からないように働くことの方が多い気がします。また、悪魔という言葉を使うことに、教会にもためらいがあります。
ですから、この映画のキャッチコピーを載せたポスターが全国300の映画館に貼り出されだけでも、意味があったと思っています。
身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。(Ⅰペテロ5:8~9)
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