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執筆者の写真Michio Isokawa

第3回 ―長崎・外海・五島黙想の旅― レポート 神の恵み その裏話 ㉙

更新日:4月12日

「また、来てくださいね」とガイドさんが言うと、大概の方は「はい、また来ます」と答えますが、実際は多額の経費がかかりますので、再び五島の地を踏まれる方は少ないです。

しかし、私は今回で4回目となりました。私自身、何回も同じ場所を観光する経験はあまりないです。この長崎、外海、五島は違います。

「『沈黙』を準備していた時、わたしはここを3か月には一度訪れた」(切支丹の里)と遠藤周作も述べています。小説を書くためとはいえ、彼も長崎に惹かれた一人でした。生まれ故郷でもない外海(そとめ)地区に遠藤周作文学館が建っていることからしても分かります。それはとても珍しいことだそうです。

2023 .5/23~26 ツアーメンバーと遠藤周作 沈黙の碑にて

私が初めてこの地を訪問したのは、映画「沈黙―サイレンスー」の宣伝をお手伝いした時です。実際のキリスタン迫害はどうだったのだろうかと気になって、妻と長崎、外海、五島、雲仙、島原とレンタカーを借りて、またガイドさんに付いてもらって回りました。

「どうせカトリックのことで、土着宗教と一緒になってしまって純粋な福音とは違ってしまったのだろう」程度の理解しかなかった私には、衝撃的な旅行でした。

今回のツアーに参加された27名の皆様から、「余りにも衝撃的すぎて、資料を読み返していても涙が出ます」「人間の罪の残酷さと先人の信仰による信念と神様の恵みが歴史を通して心に迫ってくる旅でした」などなどの感想をいただきました。どうやら、私と同じ思いを持ったようです。

牢屋の窄殉教地

 なんといっても最も心を痛めるのは、久賀島の迫害です。五島に行ったことがある方に、「久賀島に行きましたか」と訊ねて、「いいえ」と答えが返ってくるとがっかりします。

 キリスタン迫害は、明治時代にもあったことをご存じでしょうか。大浦に天主堂が建つと、信仰の自由が与えられたと思ったキリシタンが、カミングアウトしてしまいます。

しかし、世はまだ禁教時代。政府は徹底的に弾圧し、迫害しました。この久賀島では、6坪ほどの牢屋に信者200名が8か月の間押し込まれてしまったのです。

それは、韓国のソウル梨泰院雑踏事故のように身動きが取れず、さらに汚物は垂れ流し、お芋半分の食事体力のない者、蛆(うじ)にかまれて亡くなる子、子どもにお芋をあげてしまって餓死する母親。その結果、死者39名。出牢後に死んだ者3名という悲惨な弾圧でした。

「これからパライゾに行くから、父さんも母さんも さようなら」、10歳のマリアたきさんが残した言葉です。ここには、天国への希望がはっきりとあります。

 今回はこの場所で、聖歌「まもなくかなたの」を皆で心を合わせて賛美し、それぞれで祈りの時を持ちました。

 私たちの信仰は、10歳のたきさんの殉教の死の延長にあるはずです。だからどうしてもここに皆様をお連れしたいと思っています。


250年の潜伏時代が終わり、キリシタン禁制の高札が撤去されたのは、1873年2月24日です。踏み絵を行った庄屋屋敷を購入して、みんなで建てた浦上天主堂がようやく完成したのが、1914年。そして、そのわずか30年後の1945年の8月9日に教会の上に原爆が落ち、会堂は破壊され多くの信徒が亡くなりました。礼拝堂では赦しの秘跡(告解)が行われ、若き女性たちも自分の番を待っていたそうです。ここにも「神の沈黙」があります。


原爆資料館

「なぜ、なぜ」とその理由を探しても、答えはなかなか見つかりません。

しかし、なぜと理由を考える前に、愛の実践をするキリスト者がいました。自らも被爆したにもかかわらず、救護活動に当たった永井隆博士がその一人です。

博士は、被爆者の救護活動に向かう際、坂道では看護師に背中を後ろから押してもらいながら登ったと聞きました。

ド・ロ神父

明治時代、外海地区で、貧しい人々の救済に当たったマルコ・マリー・ド・ロ神父もそうです。彼は、フランスの由緒ある 貴族の次男として誕生し、神学校卒業後、東洋布教のためパリ外国人宣教会に入会。まだキリシタン弾圧が続いていた1868年(明治元年)に死をも覚悟して来日し、外海の人々のために力を注ぎ、一度も母国へ帰ることはなかったそうです。

トイレも食事も劣悪な時代。地域住民を窮状から救うために、農業指導、漁業指導、医療事業、教育事業など様々な愛の実践を行ったド・ロ神父のことも知っていただきたいです。


「『沈黙』ゆかりの地で、神の前に静まる心の旅」に参加された皆様一人一人は、いろいろなことを黙想されたことしょう。チャプレンのミッキー(妹尾光樹)先生は、2024年に、もう一度チャプレンとして参加したいと立候補してくださいました。

先生も私のように、長崎に魅了された一人になったようです。

爆心地公園の前での祈り会


まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。"

   (新約聖書 ヨハネ12:24 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)




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