この映画の監督、小松莊一良氏は、6年前の2018年に、伝説のピアニスト、フジコ・ヘミングの2年間を追ったドキュメンタリー映画「フジコ・ヘミングの時間」をロングランヒットさせました。その続編である今回の作品、「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」(2024年製作、10月18日全国劇場公開、119分)は、2020年からの4年間にわたる彼女の新しい日々をカメラに収めたものです。
彼女は、昨年腰椎を骨折してベッドに伏す身となり、懸命の闘病もかいなく、ぎっしりと詰まったスケジュールもこなせぬまま、今年2024年の4月に92歳で亡くなりました。この映画は、期せずして、全世界のファンにその死を惜しまれた彼女へのオマージュ作品となりました。
私は、「クリスチャン映画を成功させる会」の同労者礒川さんのコネで、この映画の試写を見る特権にあずかり、約2時間、一気に観終えました。実を言うと私は、フジコ・ヘミングさんのお名前や、今年亡くなられたことは知ってはいましたが、クラシック好きを自認しているのに、彼女の演奏を聴いたこともなく、正直、“伝説の人”で、遠い存在でした。その私が、この映画で初めて生前の彼女の人生に触れ、その伝説のピアノテクニックを目の当たりにして、心底感動しました!
劇中、彼女の奏でる数曲の名曲が流れますが、中でも絣銘仙をまとって弾く「ラ・カンパネラ」は圧巻でした。特別出演されている牧師でシンガーソングライター、音楽プロデューサーでもある陣内大蔵さんが、彼女の生涯にエールを送るかのように、誰もいない広い教会で歌う「アメイジング・グレイス」や少年少女たちの日本の歌も、良き彩りを添えていました。
小松監督の作品には初めてお目にかかりましたが、その演出、編集技量は文句なしに“すばらしい”の一語です。才気ある人にありがちな奇をてらうことは一切せず、それでいて決して平板ではなく、あらゆる編集テクニックを駆使して、彼女の生きた人間像をみずみずしく浮き彫りにしていく演出はただ見事です。一人の人物のバイオグラフィーとしても、彼女の演奏を中心に人物と自然と建物と動物たち(犬、猫、小鳥…)を巧みに取り入れたドキュメンタリー映像としても、これは久々に観た“極上品”の味わいでした。
また長年字幕と取り組んできた者の感想として、字幕に一切のアートフォントを使わず、僕にとっても懐かしい、今は亡き佐藤英夫さんが編み出したあの独特の書体のシネマフォントを使って、抜けるような白一色、サイズも変わらない小さめの字幕サイズで全体を通しているのも、画面を邪魔せずに好感が持てました。
(余談ながら、その動物たちの中でも、彼女がとりわけ愛したのが猫だったのは、猫好きの私にはうれしいことでした。パリに飼っていたニャンスキーや、日本のお宅で世話をしていた25匹の野良たちなど、独身を通した彼女にとっては文字どおり人生の伴侶だったようです。)
この映画には、小松さんをリーダーに、多くの人の協力によって、フジコさんの生涯、その人間像が、文字どおり“命”を持って再現されています。私にとっても、亡くなられてからですが、彼女は忘れられない人になりました。初めて彼女に出会った私でさえそうなのですから、生前から彼女のファンだった多くの人にとっては、この映画は“宝物”となります。映画は今や配信で観る時代になりましたが、この一作だけは、ぜひBlue Rayを作ってもらい、秘蔵版にしたいことでしょう。
終盤近く、生きる上で何が一番大切かというインタビュアーの問いに、迷わず「愛」と答える彼女の言葉には、“生きる”ということへの彼女の結論が凝縮されている気がします。中学時代にかかった中耳炎がもとで、右耳が全く聞こえないハンデを抱えながら、一度は閉ざされかけたピアニストの夢を、想像を超える努力で60代から花開かせた彼女が、晩年にたどり着いた言葉です。
それは、「どんなハンデや苦しみがあっても、人は愛することで生きていけるのだ」という彼女の人生観そのものでしょう。そこに私は、正面切っては出てきませんが、彼女の聖書とキリスト教信仰の確かさをも見た思いでした。天国での愛する者たちとの再会を夢見る彼女の言葉で終わるエンディングも、観る者の心に温かい余韻を残してくれます。
多くの方が、劇場に足を運んでくれるよう。そしてピアノに恋し、人々に恋して生きた一人の女性の最後の4年間の日々から、生きる元気をもらってくれるよう、心から祈っています。
「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(Ⅰコリント 13:13)
公式ホームページ →https://fuzjko-film.com/
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