映画「沈黙 -サイレンス-」の宣伝協力をしたことから、その舞台を訪ねるツアーを行ってきました。第1回目の2017年9月27日から30日まで行われたツアーのことが、「クリスチャン新聞」で記事になりました。許可をいただき一部修正、加筆してブログに載せます。
遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』は、67万人以上の観客動員があり、観た方は少しでも「神の沈黙の意味とは何か」を考えてくれたに違いないでしょう。
ツアーが単なる観光に終わらずに、「なぜ彼らが命の危険にさらされても信仰を捨てなかったのか」といった魂の問題を考えることができるように、今回は長らく長崎バプテスト教会にて牧会し、長崎を愛する牧師で現常盤台バプテスト教会の友納靖史氏に団長を務めていただました。
プロテスタント教会、カトリック教会の信徒の方、教会に行っておられない方など、89才の方を最高齢に、部分参加も含めて34名が参加されました。
長崎には二つの神の沈黙があると思います。一つはキリスタンの殉教であり、もう一つは被爆です。原爆爆心地に近い浦上天主堂には、原爆が投下された際にゆるしの秘跡(告解)が行われていたために、多数の信徒が犠牲になりました。
長崎入りしたツアー一行は、まず永井隆博士の如己堂・長崎市永井隆記念館を訪れました。被爆し、妻までも失った永井隆博士は、その悲しみの中でも被爆者への救護活動を続けました。如己堂は、「己の如く隣人を愛せよ(如己愛人)」という聖書の一節からと名づけられています。なぜ神はキリスト者が多い、また殉教の歴史のある長崎に原爆を落ちるのを許されたのでしょうか。。
続けて訪れたのは「日本二十六聖人記念館」です。1597年京都、大阪で捕らえられた宣教師、信者26名が殉教。このキリシタン迫害が映画「沈黙」へと繋がっていきます。その中には、「わたしの十字架はどれ?」と尋ねたルドビコ茨木、「泣かないで、自分は天国に行くのだから」と両親を慰めたアントニオ、「パライソ(天国)ですぐにお会いしましょう。お待ちしております」と母に手紙を書いたミゲル小崎たち3人の少年がいます。
パライソ(天国)を思う彼らの純粋な信仰には、心が打たれます。この記念館には、映画でも使われた潜伏キリスタンの家に代々伝わってきた掛け軸「雪のサンタマリア」があります。案内して下さった宮田和夫記念館マネジャーの言葉「もしプロテスタントが先に日本に伝わっていたら、250年間も信仰が続いただろうか」が印象的でした。確かに隠れて持ち続けるキリスト教を象徴する何かがなければ、印刷された聖書もない時代に信仰は続かなかったかもしれません。 そしてここには、中浦ジュリアン書き残した唯一の本物の手紙があります。中浦ジュリアンは、天生遺欧少年使節として、ローマを訪問した4人の少年のうちの一人です。
映画にも出てきた宣教師フェレイラと一緒に穴吊りの刑に処せられ、フェレイラは5時間で棄教しましたが、中浦ジュリアンは「わたしはローマに赴いた中浦ジュリアン神父である」と最期に言い残し殉教しました。
棄教する者と殉教する者、何が彼らを分けるのでしょうか。根性論では解決できない真実があるとしたらそれは何なのでしょうか。とても考えさせられます。
そして友納牧師が牧会していた長崎バプテスト教会で礼拝の時を持ちました。今回のツアーの特別プログラムです。その後、遠藤周作氏が『女の一生<第二部・サチ子の場合>』でアウシュヴィッツを舞台とする作品に出てくるコルベ 神父の聖コルベ館を訪問しました。身代わりになって死んでいったコルベ神父には、このキリスタン殉教者のことが頭にあったことでしょう。
2日目は、「沈黙」の「トモギ村」のモデルになった外海(そとめ)地区に向かいました。ここには、遠藤周作文学館があります。訪問した9月28日は21年前に遠藤が倒れた日です。この外海地区で忘れてはならないのが、ド・ロ神父の働きです。
私たちは、キリシタン弾圧は豊臣秀吉や徳川幕府の迫害と連想しやすいですが、実際には明治の新政府になっても続いていました。特に有名な大浦天主堂の信徒発見後、キリシタンたちは寺との縁を切ることを希望したために、迫害を受けました。そのキリシタン弾圧にも耐えながら貧しい暮らしをしていた人々の生活支援をしたのがド・ロ神父です。異国で女性たちの自立支援や、孤児たちのお世話にする姿には頭が下がります。
そして五島列島へ向かいました。キチジローの案内でロドリゴが潜入したとした五島列島で必ず訪れていただきたいのが久賀島です。牢屋の窄(さこ)と言われる地には、1868年(明治元年)にわずか6坪の小さな土間に老若男女、子どもや赤子まで200人のキリスタンが立ったまま押し込められました。
食べ物は、朝夕にサツマイモ一切れ、汚物は垂れ流しで、8か月の入牢生活で42名が息を引き取ったそうです。しかし誰一人として信仰を失わず、また解放後は自分たちを告発した者に対して復讐した者はいなかったと聞きました。
42の記念碑には殉教した様子が書かれ、10歳のマリアたきは「これからパライソに行くから父さん母さんもさようなら」と言って息を引き取ったそうです。
最終日は長崎に戻り、信徒発見の舞台となった大浦天主堂を見学しました。
さて、彼らが信仰を維持できた理由の一つには、「バスチャンの日繰り」という教会暦が伝わっていたことです。この暦に従って、潜伏キリシタンたちはナタラ(クリスマス)をお祝いしていました。見つかれば捕らえられる危険が多い中で静かにキリストの降誕を祝っていたのです。
信仰の自由がある私たちには、テーマパークよりも素晴らしいパライソ(天国)を思い、神の前に静まるクリスマスを過ごすことも大切なのかもしれません。
団長の友納靖史氏は、「日本人キリスト者として、人生に一度は訪問して欲しい。ここは一人、一人が神様から語られる場所ですから」と感想を述べました。
この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。(ヨハネの福音書 1:11~12)
なお、2019年10月3日から6日まで、本郷台キリスト教会の池田博アドバイザー牧師を団長に2回目のツアーを行いました。その後、コロナ禍で中断しておりましたが、2023年5月に、ミッキー先生をチャプレンに、第3回 長崎・外海・五島 黙想の旅が行われます。
是非、ご参加ください。詳しくは⇒Tours | chfilms
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